原因ではなく、状態を見る

不調があるとき、多くの場合「何が原因か」を考えます。
何を食べたのか、何を変えたのか、どこに問題があるのか。

もちろん、それが必要なこともあります。
ただ実際には、原因よりも「状態」のほうが影響していることも多いです。


なぜなら、同じ刺激でも反応が変わることがあるからです。

あるときは気にならず、あるときは強く反応する。
この違いは、刺激そのものではなく、受け取る側の状態によって生まれています。

これは、日常の中でもよく起きていることです。

例えば余裕がないとき、少しの音が気になったり、普段なら流せることに反応してしまう。
つまり、状態が変わると受け取り方が変わります。


そしてこれは、そのまま身体の中でも起きています。

身体は常に外からの刺激を受け取りながら、
それをそのまま通すか、強く反応するかを無意識に選んでいます。

神経系に余裕があるときは、刺激はそのまま流れていきます。
一方で余裕がなくなると、小さな刺激でも引っかかり、反応が強くなります。

例えば、普段は問題なく食べられるものでも、
疲れているときや胃腸の調子が落ちているときには、重く感じたり、違和感が出ることがあります。

同じものを食べているのに反応が変わるのは、
食べ物そのものではなく、受け取る側の状態が変わっているからです。

身体の中でも同じことが起きていて、
状態が整っているときは刺激は自然に通り、
余裕がなくなると、同じ刺激でも引っかかりやすくなります。


身体には、内と外を分ける境界があります。
腸や皮膚、粘膜といった場所で、外からの刺激を受け取りながら、必要なものとそうでないものを分けています。

この境界が安定しているとき、身体は過剰に反応することなく、自然に処理していきます。
だから同じ刺激でも問題になりません。

一方で、状態に余裕がなくなると、この働きは不安定になります。
すると本来であれば流せるものに反応したり、逆に必要なものもうまく受け取れなくなります。

こうして不調が出てきます。


だからこのときに大切なのは、何かを足して変えようとすることよりも、
そもそも身体が受け取れる状態にあるかどうかを見ることです。

整体では、単に硬さだけを見ているわけではありません。
その人の身体がどこまで受け取れているのか、どこで受け取りにくくなっているのかを見ています。

そして無理に変えようとするのではなく、身体が自然に受け取れる状態に戻っていくように関わっていきます。


受け取れる状態が整ってくると、身体の反応は変わっていきます。
同じ刺激でも過剰に反応しなくなり、必要なものは受け取り、不要なものは流せるようになります。

その結果として、不調も落ち着いていくことが多いです。


だから順番としては、何かを変える前にまず状態を整えること。
状態が整っていれば、変化は無理なく起きていきます。

未来に備える思考と、未来に消耗する思考

先のことを考える力は必要です。

少し先を見て動ける人のほうが、
準備もできるし、判断も早くなります。

ここまでは自然なことだと思います。

ただ、その先に進みすぎると、
別のことが起きてきます。

まだ何も起きていない段階で、
頭の中だけで何度もシミュレーションを繰り返してしまう。

この状態になると、

考えている内容は未来のことでも、
身体の中ではすでに反応が起きています。

実際には起きていないことに対して、
緊張したり、構えたり、消耗していく。

一見すると、慎重さや思慮深さのようにも見えますが、
実際には少し質が違います。

本来の予測は、

起こりそうなことを見て、
大まかな対応の方向だけ決めて、
一度手放せるものです。

それに対して、

同じ場面を何度も頭の中で再生したり、
その先、そのまた先と展開し続けてしまうと、

まだ起きていない不快感を先に引き受けている状態に近くなります。

人は出来事で疲れることもありますが、

起きるかどうかも分からないことに対して
先に反応し続けていると、
実際の出来事よりも深く消耗していきます。

このときの背景には、

失敗そのものというより、
うまくいかなかったときの自分をどう扱うか、
その余白の少なさが関係していることが多いです。

だからこそ、

先のことを考えるときは、
どこまで考えるかよりも、

どこで切り上げるか

のほうが重要になります。

ひとつの目安としては、

「そのとき自分はどう動くか」

ここまで見えたら、一度止めることです。

それ以上先の、
相手の反応や空気、評価まで考え始めたら、
それはもう今やることではありません。

一度思考を止めて、

呼吸に意識を戻す。
足の感覚を感じる。
今やるべきことに戻る。

こうやって身体を使って「今」に戻していきます。

身体は常に「今」でしか働いていません。

どれだけ先のことを考えていても、
実際に呼吸しているのも、支えているのも、感じているのも、すべて今です。

だからこそ、思考が先に行きすぎたときは、
身体に戻ることでしかバランスは取り戻せません。

未来に備えることと、
未来に引っ張られて消耗することは、
似ているようでまったく別のものです。

先のことはある程度見ておく。
でも全部は先にやらない。

残りは、そのときの自分に任せる。

そのくらいの余白があるほうが、
結果的にうまくいくことが多いように思います。

なぜ無理をさせても良くならないのか

—- 身体と会社に見る「余裕」のつくり方 —

前回の記事では、
身体が変化するときには
余裕や余白が生まれることが大切
という話を書きました。


少しイメージしやすいように、

身体ではなく「会社」の例で考えてみます。

誰かがダウンした会社

ある会社で、
とても頑張っていた社員が
働きすぎてダウンしてしまったとします。

そのときに、

「もっと頑張れ」
「早く戻ってこい」
と、無理に鞭を打ったらどうなるでしょうか。

おそらく状況は、
あまり良くならないはずです。

まずは会社が回る状態をつくる

もし会社として立て直すなら、
まず考えるのは

今働いている人たちが、
ちゃんと力を発揮できる状態をつくることかもしれません。


今動いている人たちに感謝しながら、

無理のない形で仕事を分担する。

そうすると、
会社全体の仕事が少しずつ回り始めます。

会社が回るようになると、
はじめて
「休んでいる人が戻ってくる余裕」
も生まれてきます。


身体でも同じことが起きています

身体の不調も、
少し似ているところがあります。

痛みがある場所を、
無理に働かせようとするよりも、

まだ働いている場所を整える

そうすると、
身体の中で仕事の分担が戻ってきます。

一箇所に集中していた負担が減り、
身体全体に少しずつ余裕が生まれます。

その余裕ができたとき、
これまで頑張りすぎていた場所も、
無理なく変化し始めることがあります。

身体は、
無理に働かせることで整うのではなく、

余裕が生まれたときに整っていく

そんな性質を持っているように感じます。

身体に余裕を持たせる整体の効果

身体に痛みや不調があるとき、
多くの人は「その場所をどうにかしよう」と考えます。

痛みを取る。
硬いところを緩める。
歪みを整える。

もちろん、それが必要なこともあります。
ただ、慢性的な不調では、
それだけでは変化が起こりにくいこともあります。

身体は一部だけで働いているわけではない

身体は本来、
一つの場所だけで動いているわけではありません。

呼吸、姿勢、動き。
どれもいくつもの場所が少しずつ働きながら、
全体のバランスを取っています。

しかしどこかがうまく働けなくなると、
その分の仕事を他の場所が代わりに引き受けます。

例えば肩こりの場合。

  • 呼吸が浅くなる
  • 背中の動きが少なくなる
  • 胸郭が広がりにくくなる

こうした状態があると、
本来は胸や背中が担うはずの働きを、
肩の筋肉が代わりに引き受けることになります。

すると肩は、本来以上の仕事を抱えることになり、
張りや痛みとして現れてきます。

働いている場所を見る

整体では、
頑張りすぎている場所を直接変えようとするよりも、
まだ働いている場所を見ることがあります。

  • 呼吸が動いているところ
  • 少し余裕のある関節
  • 力が抜ける場所

そういう場所が働きやすい状態をつくっていくと、
身体の中で止まっていた働きが少しずつ戻ってきます。

すると、一つの場所に集中していた仕事が、
身体全体に分散されていきます。

余白が生まれると身体は変わる

一箇所が頑張りすぎなくてよくなると、
そこには自然と余裕や余白が生まれます。

身体は、
無理に変えようとするよりも、
こうして余裕が生まれたときに、
自然と変化していくことがあります。

整体は、
痛みを押さえ込む技術というよりも、

身体が変化できる余裕と余白を取り戻す関わり

そんなふうに捉えることもできるのかもしれません。

身体は、余白が生まれると変わります。

環境の変化がもたらすメリット

北海道に行ってきた。

旅行など、
日常の場所を離れることを
ときどき意識してやっている。

特別なことをするわけではなくて、
ただ普段の生活圏から
少し離れるだけでもいい。

不思議なもので、
場所が変わると
身体の感じも少し変わる。

普段と違う景色を見たり、
違う空気の中を歩いたり、
知らない道を歩いたりする。

それだけで、
感覚が少し開く感じがある。

身体の仕組みから考えてみても、
環境が変わるということは、
神経に入ってくる情報が
一度リセットされるようなところがある。

私たちの脳は、
場所と状態を
意外と強く結びつけて覚えている。

同じ場所、
同じ道、
同じ景色。

そういう環境の中にいると、
身体も自然と
同じ状態を繰り返すようになる。

だからこそ、
肉体として一度その場所から離れると、
神経の状態も
少し変わるのかもしれない。

気分転換という言葉もあるけれど、
あれは案外、
身体のレベルでも起きていることなのだと思う。

だから、
ときどき場所を変える。

それだけでも、
身体には
ちょっとした余白が生まれる気がする。

密教と顕教: 成長の基本とその重要性

密教や秘教のような体系には、
どうしても人を惹きつけるところがある。

特別な教え
奥義
秘伝

そういう言葉には、
どこか魅力がある。

ただ、本来の仏教の考え方では、
いきなりそこに向かうものではないらしい。

まずは顕教。
つまり、公開されている教えから始める。


倫理や生活、
物事の見方や考え方。
そうした基礎を整えることが、
最初の段階とされている。

その土台があって、
はじめて密教のような体系を扱う意味が出てくる。


逆に言えば、
土台がないまま強い技法だけを扱うと、
理解も使い方もズレてしまう可能性がある。

これは施術でも、
健康法でも、
トレーニングでも、
似たようなことが多い気がする。

すごい人がやっていることを
学ぼうとすること自体は、
悪いことではない。

むしろ必要なことでもあると思う。
ただ、表に見えている技術や形だけを追って、
その裏側にある感覚や前提、
積み重ねてきたものを受け取れなければ、
かえって逆効果になることがある。

実際、そういう例は
かなり多いように感じる。

できるだけ早く良くなりたい。
早く変わりたい。

そう思う気持ちは、
多分とても自然なことだと思う。

けれど、
物事にはどうしても順番がある。
派手な方法よりも、
地味な基礎のほうが
結局は大きな土台になることが多い。

身体のことでも同じで、
まずは呼吸や感覚の質や、
自分の状態をどう観察するか。

そういうところが整っていてこそ、
その先のものが生きてくる。
特別なものを学ぼうとするよりも、まずは普通の事を普通に。

派手ではないけれど、
地に足をつけて一歩一歩進むこと。
結局はそれが、

遠回りに見えて
いちばん確かな道なのかもしれない。

現代における密教と身体感覚

本来、
密教的、秘教的な教えというのは、

文字通り「秘められた教え」とされてきたものだと思う。


誰にでも公開して、

誰にでも同じように教えていいものではない。
ある程度の準備や段階があって、
その上で少しずつ伝えられていくもの。
そういう性質のものだったのではないかと思う。

現代では、
情報に簡単にアクセスできるようになり、
本やインターネットを通して、
昔なら限られた人しか触れられなかった知識にも
比較的簡単に触れることができる。

それ自体は良いことでもあると思うが、
ただ、本来秘伝とされてきた体系には、
やはりそれなりの理由があったのではないかとも思う。

現代では、
こうした分野は「スピリチュアル」と呼ばれて
揶揄される知識の一部であることも多い。

密教や瞑想の体系を見ていると、
多くの場合、身体の中心を扱う。
眉間、ハート、丹田、背骨。
こうした場所に注意を向けることが
重要な要素になっていることが多い。

解剖学的に見てみると、
身体の中心ラインには神経系の重要な構造が並んでいる。

視床、視床下部、脳幹。
感覚の統合や自律神経の調整、
生命維持のリズムに関わる領域だ。

密教が身体を重視するのも、
意識だけではなく、
こうした神経の働きに
直接働きかけるためなのかもしれない。

私たちは普段、
世界をそのまま見ているわけではなく、
記憶や解釈を通して認識している。
脳は常に
意味づけや判断をしている。

けれど、
呼吸や身体感覚のような
もっと原始的なレベルの感覚に注意を向けると、
その編集が少し静まる瞬間がある。

密教のような体系は、
もしかするとそうした状態に
入るための方法を扱っているのかもしれない。

もしそうだとすれば、
それが簡単に公開されなかった理由も
少し理解できる気がする。

誤読や誤解をせず、
ただただその密教的情報を受け取るには、
準備というかそれなりのstateが必要なのだと。

知識として理解することと、
身体として扱えることの間には、
大きな距離がある。

それを扱う人の状態に左右される。
だからこそ、
段階的に伝えられてきた。

隠すためというより、
扱える状態を整えるために。

そんなことを最近少し考えている。

エネルギーセンターと脳

先日、あるヨガのクラスの為に京都に行ってきた。
内容は外に出してはいけない体系なので詳しくは書けないけれど、
個人的にはとても興味深い体験だった。

特に印象に残ったのは、
眉間のセンターの感覚が大きく変わったこと。
いわゆる第3の目と呼ばれる場所でもある。

ヨガではこの場所を、
重要なポイントのひとつとして扱う。

解剖学的に考えてみると、
眉間から奥に向かうラインの延長には、
脳のほぼ中央に位置する第三脳室がある。

第三脳室は、左右の視床の間にある空間で、
脳脊髄液で満たされた脳室系の一部。

この周囲には、
視床や視床下部といった構造が集まっている。
さらにその近くには、
概日リズムの調整に関わる松果体も位置している。

視床は感覚情報の中継点として働き、
視床下部は自律神経や内分泌の調整に関わる中枢でもある。

さらにその後方には中脳があり、
そこから脳幹へとつながっていく。

脳幹は呼吸や心拍など、
生命維持に関わる基本的なリズムを調整している領域でもある。

もちろん、
ヨガで語られるチャクラをそのまま解剖学に対応させることはできない。

ただ、
眉間に注意を向けるという感覚を身体の構造から見てみると、
結果として脳の中心ラインに意識を集めるようなイメージになる。

第三脳室を中心としたこの領域には、
感覚の統合や自律神経の調整に関わる構造が集まっている。


そう考えると、
古くから瞑想の中でこの場所が重視されてきた理由も、
身体の側から少し理解できるような気もする。

整体で身体に触れているときにも、
呼吸や神経の状態が変わる瞬間がある。

身体を通して観察していくと、
異なる分野の知識が
思いがけないところでつながることがある。

身体は、
ときどき知識より先に答えを教えてくれることがある。
今回の体験も、
そんなことを感じさせる時間だった。

1/28〜29 大阪 施術のお知らせ

<大阪施術のお知らせ>

・日時
1/28〜29
1/28(土)14:00~17:00
1/29(日)10:00〜14:00

・受付時間
1/28(土)
14:00~
15:30~
17:00~

1/29(日)

10:00~
11:30~
14:00~

・料金
初回の方は
11000円
2回目以降の方は
8800円

・施術時間
初回の方は80分前後
2回目以降の方は70分前後

・場所
長堀橋駅 徒歩3分

病や不調を治そうとするのではなく
自らが治る力をサポートしていきます

より穏やかに
クライアントさん自身が生きやすくなり、
そのクライアントさんの周りにいる方々も生きやすくなるように

そのような事に思いを馳せて手あてをしています


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セッションの感想

Yielding EMbodimentの馬渕さんがセッションの感想を書いてくださいました。
いつも素敵な文章です。
https://resonance4192.blogspot.com/2021/10/blog-post_12.html

—–以下引用—–

少し集中して水面の揺らぎに意識を向けてみると、そのフリーズみたいなものが起きている奥に、何か動いているものがある感じがしました。目を凝らしてみたら水の中に何か生き物がいた、みたいな感じ。

その生き物は波から逃れようと身をよじったり、波に逆らおうとしたりしていて、何となくその動きの中には過去の感情みたいなものがある気がしました。

普段は自分の質に埋もれて見えないものが、自分と違う質が素地になったことで浮かび上がってきたんだろうなあ。

——————–

症状、痛み、歪み、フリーズなど、
それ自体が命の働きの結果であり、
それらの中には当然、命の輝きは在り続けていて、

例え、それらに埋もれてその輝きが見えづらくなっていたとしても、
そこにもちゃんと「命があるんだ」という事を、
よりリアルに感じたセッションでした。



こんなに伝わってるものなのかとこちらが驚きます(笑)
改めて自分の在り方を常に磨かねばと襟元を正しました。

シェアありがとうございました。
馬渕さんのHP
https://www.resonanceblue.com

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