信じていないのに抵抗がない

先日参加した
クリヤヨガのクラスで、

実際の言葉は覚えていませんが、
「あなたたちは我々の家族です」
「マスターたちが、あなたにとって不要なものを持っていってくれます」
といったような趣旨のことを講師の方が話されていました。

言葉だけ取り出すとかなり強い内容です。

関係性を一方的に決めたり、
相手に大きな力を預けたり、
宗教的な勧誘や、
人を強く信じ込ませる場面でも使われそうな言葉に聞こえます。

そして僕自身、
普段ならこういう言葉には
かなり強い抵抗感や警戒心を持ちます。

 

でもこの講師の方からの言葉には、
不思議と抵抗がありません。

その言葉を
そのまま信じたわけでもありません。
寧ろ全く信じていません。

ただ、
拒否する必要も感じなかった。

 

逆に、
それほど強い言葉でなくても、
自由を奪われるように感じたり、

どこかに囲い込まれるように感じると、
強く抵抗することがあります。

この違いは何だろう、
と考えていました。

 


もしかすると、
僕が反応しているのは
言葉の内容や強さだけではないのかもしれません。

その言葉が、
どんな人から、
どんな関係の中で置かれたのか。

そして、
その場に自分の自由が残っていると感じられるかどうか。

信じてもいいし、
信じなくてもいい。

近づいてもいいし、
離れてもいい。

そういう余地があると、
かなり強い言葉でも
そのまま置いておけることがあります。

言葉は、
言葉だけで受け取っているわけではない。

その場や関係、
相手や自分の状態も含めて
受け取っているのでしょう。

 


 

同じ言葉でも、
抵抗することもあれば、
そのまま入ってくることもある。

その違いは、
どこから生まれるんでしょうね。

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