違うまま、話を続ける

人と話していて、
どうしても同じ景色を見られないことがあります。

相手にはそう見えている。
でも、自分にはそうは見えない。

以前、
そういう人と関わるとき、
どこまで相手に寄り添えばいいのだろう、
と考えたことがありました。

相手を否定したくない。

だからといって、
相手の言っていることを
すべて肯定すればいいわけでもない。

相手の話を肯定することで、
かえってその人が見ている世界を
強くしてしまうこともあるのではないか。

かといって、
「それは違う」
とこちらの見えているものだけを
押しつけても、
おそらく関係は切れてしまいます。

最近、
「相手の世界観に寄り添うこと」と、
「その世界を生きている相手に寄り添うこと」は、
少し違うのではないかと思っています。

たとえば、
相手が何かを強く怖がっているとき。

その怖さの理由について、
自分も同じように考える必要はありません。

「それは本当に怖いものだ」
と一緒に信じなくても、
「あなたには、そう感じられているんですね」
と、
その人に起きていることには
関心を向けることができます。

相手が見ている世界を
自分まで同じように見ることと、

その世界の中で、
相手が何を感じているのかを
知ろうとすること。

この二つは、
同じではないのだと思います。

これは、
肯定と否定の間にある場所とも言えます。

同意はできない。
でも、
あなたそのものを拒絶しているわけでもない。

「僕にはそうは見えない」
と言いながら、
「でも、あなたにはそう見えていることは分かる」
という関わり方もある。

考えてみると、
人と人はそもそも、
まったく同じ世界を見ているわけではありません。

同じ出来事を見ても、
受け取り方は違います。

だから、
相手と同じ場所に立つことだけが、
寄り添うことではないのだと思います。

少し離れた場所からでも、
相手を見失わずにいることはできる。

違う景色を見たまま、
話を続けることもできる。

寄り添うというのは、
もしかすると、
そういうことなのかもしれません。

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