自然であろうとしない

「自然でいたい」と思うことがあります。

力まずに、構えずに、余計なことをせずに、
できるだけ自然でありたい。

ただ、
自然であろうとするほど、
かえって不自然になることがあります。

力を抜こうとして、力が入る。

考えないようにして、
余計に考える。

意図を持たないようにして、
「意図を持たない」という意図が生まれる。

自然であろうとすることが、
いつの間にか
「こうあるべき」という形になっていく。

以前は、
自然というものを、

余計な緊張がなく、
意図もなく、
身体に任せている状態、

一つの理想的な状態のように考えていました。

でも今は、
少し違うように思っています。

緊張していることもあるし、
何かをしたいという意図があることもある。

それらを
「不自然なもの」として取り除こうとすると、

その瞬間、

今起きていることよりも、
頭の中にある「自然な自分」の方を
優先することになります。

それは、
以前書いた
「エゴを入れないというエゴ」にも
少し似ています。

自然であろうとすることが、
自然な自分でありたいという
一つの自己像になる。

そう考えると、

自然であるというのは、
特定の状態になることでは
ないのかもしれません。

緊張する必要があるなら緊張するし、
動きたいなら動く。
止まりたいなら止まる。

意図が必要なら、
意図にも仕事をしてもらう。

その時に起きているものを、
必要以上に否定したり、
別の状態へ持っていこうとしないこと。

自然とは、
「こういう状態」という形ではなく、

状況に応じて変わることのできる
自由度のようなものなのかもしれません。

だから、

自然になろうとすることより、
自然であろうとすることを
少しやめてみる。

結果として自然になるためには、
そのくらいが
ちょうどいいのかもしれません。

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