前回、我々はいろいろな物語の中で生きている、
ということを書きました。
物語の中には、
僕が好きなものや、信じていたいものもあります。
ただ、好きな考え方であることと、
それが現実を説明する法則であることは同じではありません。
時には、
ロマンを大切にするあまり、かえって現実から離れてしまうケースがあるように思います。
本当はうまくいっていなくても、
「まだ途中だから」
「自分のあり方が足りないから」
と考えれば、その物語を守り続けることもできます。
たとえば、
症状が良くなったことは施術のおかげ、
悪化したことは好転反応。
そう考えれば、何が起きても説明できてしまう。
そうやって何が起きても説明できるようになると、
それはもう、反証することのできない、閉じられた理論になっていきます。
どんな結果が出ても、その物語自体を疑うことができない。
目の前で起きていることよりも、自分が信じたい物語の方を見てしまう。
僕は、
そうやって一つの物語を「法則」にしてしまうことに少し違和感があります。
現実には、
人の欲や感情があり、
お金や利害もあるし、
環境や仕組みの問題もある。
自分のあり方だけでは、どうにもならないこともあるかもしれません。
それでも「自分のあり方さえ良くなれば」と考えてしまうと、
ロマンがそうした現実から目をそらすための言い訳になる。
ただ、
だからといってロマンを捨てたいわけでもありません。
ロマンは持っていたい。
でも、それによって現実を見失いたくもない。
自分が信じているものが、現実を見る助けになっているのか。
それとも、現実から目を逸らすものになっているのか。
その境界に、一つの答えを出してしまいたくはありません。
現実を見て、疑って、それでも信じたいものは残しておく。
そのたびに迷って、考え直す。
答えを決めることよりも、
その間で悩み続けることをやめないでいたいと思っています。
ちなみに今回の話は、
「ほら、カカオセレモニー行ってないから」
というフレーズから思いついた話でございます。
サッカー情報からの所、聞いてみてください。
