学びの文脈

学びにおいて大切なのは、
知識を増やすことよりも、
受け取る側の文脈を育てることなのかもしれません。

学ぶ、
感動する、
納得する。
その場では何か大切なことを理解したような気になる。

それ自体は悪いことではありません。
学びの入り口としてとても自然なことだと思います。

ただ、
どんなに素晴らしい話を聞いても、
実際の生活の中で活かすことは意外と簡単ではありません。

気づけば、
以前と同じ反応をしていたり、
同じようなところで引っかかっていたりする。
学びが増えているのに生き方はあまり変わっていない。

そんなことは、
誰にでもあるように思います。


学びには、
その人の文脈があります。

講師には講師の人生があり、
経験があり身体があります。
だから同じ言葉でも、
その人が言うからこそ意味を持つことがあります。

ただ、
学ぶ側にもまた、
その人なりの人生があり、
経験があり身体があります。

本当に大切なのは、
教わったことをそのまま覚えることではなく、
自分の文脈の中で理解し直すこと。

試して、
失敗して、
身体で経験する。

その過程を通らなければ、
どんなに深い言葉もただの感動で終わってしまいます。


意図を持たない
以前、

「意図を持たない」という言葉に長い間引っかかっていました。

その言葉が間違っていたわけではありません。
ただ、その頃の自分には、うまく受け取れる器がなかった。

今振り返ると、理解できなかったのではなく、
自分の文脈に翻訳できていなかったのだと思います。


学びは本来、
受け取る側そのものを育るものだと思います。

身体が変わり、経験が増え、人生が変わる。
すると、以前はただの言葉だったものが、
突然理解できるようになることがあります。

言葉の意味が変わったのではなく、
受け取る側が変わったのです。

僕は新しい言葉を探すことより、
受け取る側の文脈を育てることに興味があります。

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