ずいぶん昔の話。
オステオパシーを学び始めた頃、
施術において「意図を持たない」ことが大切だと教わりました。
この「意図を持たない」という言葉に、
しばらくの間で引っかかっていました。
呪われていたというか。。
一緒に学んでいる仲間も、
同じように呪われていた人が多かったように思います。
意図が入ったとか入らないとか。
そんな事を考えれば考えるほど、
おかしなことになっていきました。
「意図を持たない」
意図を手放すということ、
理屈は理解できるが、
体感的にわからなかった。
そもそも、
「意図を持たない」
という意図を持っている時点で、
どこか矛盾していて。
しばらく悩みながら、
一度、違う角度から考えてみました。
教わった事を鵜呑みにするのではなく
間違ってもいいから自分で考える。
そもそもなぜ、
意図を持つ施術は良くないと言われるのか。
それは、
不自然になりやすいからだと思います。
だとしたら、
基準はそこではない。
自然であるかどうか。
もし意図を持っていても自然であれば、
それは問題ではないはずです。
大切なのは、
意図があるかどうかではなく、
身体が自然かどうか。
そう考えると、
やるべきことはかなりシンプルになります。
この件に関してはもう少し掘り下げたいから、
また書くと思います。
※
「意図を持たない」という言葉が悪いわけではないし、
間違っているわけではありません。
そのときの自分の状態や視点によっては、
うまく機能しないことがあるということ。
例えば、
「力を抜く」という言葉も、
同じように機能していない場面を見かけます。
「力を抜く」為に「力を入れる」必要があったりするからです。
