意図を持たない

ずいぶん昔の話。
オステオパシーを学び始めた頃、
施術において「意図を持たない」ことが大切だと教わりました。

この「意図を持たない」という言葉に、
しばらくの間で引っかかっていました。
呪われていたというか。。

一緒に学んでいる仲間も、
同じように呪われていた人が多かったように思います。

意図が入ったとか入らないとか。
そんな事を考えれば考えるほど、
おかしなことになっていきました。


「意図を持たない」

意図を手放すということ、
理屈は理解できるが、
体感的にわからなかった。

そもそも、
「意図を持たない」
という意図を持っている時点で、
どこか矛盾していて。


しばらく悩みながら、
一度、違う角度から考えてみました。
教わった事を鵜呑みにするのではなく
間違ってもいいから自分で考える。


そもそもなぜ、
意図を持つ施術は良くないと言われるのか。

それは、
不自然になりやすいからだと思います。

だとしたら、
基準はそこではない。

自然であるかどうか。

もし意図を持っていても自然であれば、
それは問題ではないはずです。


大切なのは、
意図があるかどうかではなく、
身体が自然かどうか。

そう考えると、
やるべきことはかなりシンプルになります。

この件に関してはもう少し掘り下げたいから、
また書くと思います。


「意図を持たない」という言葉が悪いわけではないし、

間違っているわけではありません。

そのときの自分の状態や視点によっては、
うまく機能しないことがあるということ。

例えば、
「力を抜く」という言葉も、
同じように機能していない場面を見かけます。
「力を抜く」為に「力を入れる」必要があったりするからです。

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